2006年07月26日

君が代を歌わないサッカー選手について私の考え



野良狸さんから、君が代をテーマにトラックバックをいただきましたので、遅くなりましたがお答えしたいと思います。

まず結論を先に言っておくと、君が代のせいではないということです。

君が代という国歌 野良狸の巣
 国民みんなが胸を張って愛着を持って歌うことのできない国歌。
 君が代を国歌にし続けることで、日本という国家は、恐らく損をしています。ワールドカップの試合の内容に対しても、そのことは関係性がゼロではないと私は考えます。

そうでしょうか?

愛着を持って歌えないのは、そう教わっていないからではないですか。そして、歌わないことが一種のプロテストで、格好いいと思い込んでいるだけです。そして、周りもそんな若者たちに迎合しているだけです。


それはつまり、反日教育の結果ではないのですか。

「反日」教育といってしまうと、気の優しいサヨクの皆さんが引いてしまうかもしれませんので、自虐史観とでもしておきましょうか。つまり、私たちは、自分の国に誇りをもてなくなってしまっているのです。それが一番の原因です。

この前の戦争で、日本人がまったく悪いことをしていないとはいいません。しかしそれは、決して君が代のせいではありません。

君が代は、日本国民の統合の象徴たる天皇陛下を讃える歌ですが、人殺しの歌では決してありません。むしろ、平和を祈念する歌だ。平和でなかったら、岩に苔など生すものか。

こんなすばらしい詞を、千年以上の昔から詠っていた日本人はすばらしいではないですか。


もちろん私は、原理主義者ではないので変えるなというつもりはありません。

しかし、こんなに日本人が、自分の国に誇りをもてない現状では、何を国歌に持ってきても同じことだと思います。自分の国に誇りを持たずして、世界を相手にどうして戦うことができましょうか。


日本代表がよい結果を残せなかったのは、決して君が代のせいではない。それは、彼らが自分を育んだ国に対して誇りを持てないからです。そしてそれを教えたのが、反日教育で育った彼らの親であり、指導者です。

過剰なナショナリズムを恐れるあまり、正常なナショナリズムまで駆逐してしまった戦後60年の成果です。羹に懲りて60年間膾を吹き続け、ことここに至っているのです。

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この記事へのコメント
 非国際人さんの思想や思考の方向性と、私のものは、随分違うと感じています。(全ての価値観において、と言う訳ではありません。) これは政治思想的な話題において、誰しもよく感じるものだと思います。城内実氏の「ブラジル戦」の文章を読んだ時にも感じました。ですから、私はそう思わないという主張で、君が代の話題は書きました。

 《愛着を持って歌えないのは、そう教わっていないからではないですか。そして、歌わないことが一種のプロテストで、格好いいと思い込んでいるだけです。そして、周りもそんな若者たちに迎合しているだけです。
それはつまり、反日教育の結果ではないのですか。》

 私は反日教育というものを受けたという自覚は全くないです。世の中が反日教育という言葉を頻繁に使うことを不思議に思って眺めています。君が代に関しては小学校の卒業式の前、めちゃめちゃ熱心な担任の先生に丹念に練習させられました。

 それと、歌わないことが格好いいと思って歌わない、と何をどうしてそのように思うのかも全く分かりません。

 私個人は、「国歌が君が代でなければいけないという必然性はない。むしろ変える必然性がある。」と考えています。それは、先の戦争の過ち(敢えて過ちと書きます)を君が代が背負っているという背景があるからです。そのことにこだわりを感じている人が少なからずいると思うからです。

 誰をも説き伏せようなどと思っていません。同意がいただけなくても仕方ありません。
 ただし、今回非国際人さんが書かれた内容にも、私はあまり同意できませんでした。
 それを反日と思われようと私は一向に構いません。

 私のブログのコメント欄でもえんえんこだわってコメントしてくる方がいますが、あまりこの対話を長引かせたいと思っていません。お互いの考え方が違うんです。価値観が違うんです。

 どちらの考え方もねじ伏せられる必要はないと私は思います。どちらもそれぞれの思想なのですから。

 ただし、日の丸・君が代に対する議論はいくらでもあって良いと思います。
Posted by 野良狸 at 2006年07月29日 16:39
野良狸さん

まず、拙記事に対して丁寧にご返事くださいましたことに心より感謝いたします。

また、野良狸さんは、非常に愛国心を大切にされる方で、その形に大変こだわっておられることもわかりました。

サッカーに限らず、愛国心というものは、あらゆる国民的活動のベースになるものだと思います。


目指すべきものが同じであれば、野良狸さんと私の意見の食い違いは決して理解不可能な溝ではありません。ただ、そこにいたるまでの道筋が違うだけだと思います。


私は日本の国歌が君が代である必然性はないと思いますし、それに代わるものがあったら変えても一向に構わないと思っています。

ただ、今の段階で私にとって一番しっくり来るのは君が代なので、それを気持ちよく受け入れることのできない原状は非常に残念だと思います。


対立点を際出させることは非常にたやすいことです。しかしそれは日本と対戦するチームにとって、思う壺だとは思いませんか。


骨の折れる作業ですが、合意に向けて努力することは、決して無駄なことではないと考えています。

そういう意味では、私は野良狸さんの問題提起は大変ありがたくいただきました。これからも、大いに議論を深めていきたいと思います。


もし私のものの書き方に失礼な点がありましたら申し訳ございません。これからも、野良狸さんの記事を楽しみにしております。
Posted by 非国際人 at 2006年08月01日 07:58
前回、大分感情的なままコメントを書いてしまいました。乱暴な表現になって申し訳ありませんでした。
Posted by 野良狸 at 2006年08月03日 23:54
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