つまり、よく言われるように、英語を習う前にまず日本語を習得せよということです。
このようになってしまった原因はなんでしょうか。私はやはり戦後教育にあると思います。それと、マスコミにあると思います。そして、それはおそらく戦後の日本政府の方針に基づいてのことだったと思います。
古いものを全否定して、新しいものはなんでも素晴らしいかのように教え、論じてきたその態度にあると思います。
そのせいで、私たちは過去の伝統から完全に切り離されてしまいました。それだけではありません。過去を全く反省し、総括することなく、言わば無責任に、白紙の状態で新たな歴史を始めてしまったのです。
実は、同じような断絶が過去にも一度ありました。もうお分かりだと思いますが、明治維新のことです。
この二つの出来事のお陰で、私たちは過去を持たぬ民族になってしまいました。そして、自分の国のことよりも、太平洋の向こう側のことの方が身近に感じられるという、倒錯した国民に成り果ててしまいました。
このことを私たちは、もっと真剣に反省しなくてはなりません。
確かに教科書は悪かった。マスコミも悪かった。でも文化を伝承する手段はそれだけではないはずです。親から子へと、あるいは地域社会内で、なされて然るべきでした。
でもそれは、なされませんでした。いや、正確に言えばなされたのですが、ここ二十年くらいの間に、急激に衰退して行った、そんな印象があります。
私たちは顔こそ日本人でも、心はすでに日本人ではないのです。かと言ってアメリカ人にもなれるわけがない。つまり、私たちは何者でもないのです。民族としての記憶を失って、ただ動物のように本能だけで生きているのです。
しかし、どんなに空虚な存在であろうが、四つの小さな島とその周辺に閉じこもって、日本語を話してさえいれば、それは大きな問題ではありません。問題は経済大国として、改めて国際社会と対峙した時、初めて露呈したのです。
つまり、日本人は、何も、考えていない。
そのことを国際社会から見切られた時、わが国の第二の敗戦が始まったのです。
歴史を持たない民族は、必ず滅びると言われます。
私たちは今こそ謙虚に、先人たちの足跡を辿らなければなりません。そして、私たちが何者であるかを知らなければなりません。
それこそが、国際社会で私たちが生き延びていく上で必要なことだと思うのです。
最後にご参考までに、私が以前に書いた記事です
戦後民主主義の軽薄とツケ
認めよう、我々は騙されていたのだ
ご理解していただける皆様は、ぜひ。
少し前まではブログを覗いていたのですが、更新されなかったので心配して居りました。
TB有難う御座います。
久々に拝見させていただいた記事も素晴らしいですね。
有難いお言葉を胸に留めておきたいと思います。
ご無沙汰しております。
テンションが高すぎるせいか、時々行方をくらましてしまいます。ご心配をおかけしました。
ありがっていただくほどのものでもないのですが、なんとか自分の頭で考えようと努力しています。こちらこそよろしくお願いします。