とは言え、真実はみんながすでに知っています。角栄はただの金の亡者ではありませんでした。我々凡人より、はるかに先を見ていたのです。ただ、あまりに先が見えたのでその価値が誰にもわからなかったのです。残念ながらそれに気づいていたのは、盟友ニクソンと、最終的に彼を葬ることになるキッシンジャー、そして後の大勲位中曽根康弘でした。
当エントリーでは、副島隆彦氏のホームページにアルル氏の寄稿した、角栄失脚・最後の真実 (1) 「日本の独立を急ぎすぎた国民政治家(ポピュリスト) 田中角栄。角栄は、日米エスタブリッシュメントの暗黙の“共謀”によって殺された!! ロッキード事件30年後に確定した、ロッキード事件の“真の黒幕”たちの姿」をご紹介します。
大変に長いので、全文はこちらでお読みください。なお、これは無料で読むことができます。
◇まずは、書き出し。
今年(2006年)7月27日は、田中角栄元首相が、外為法違反の容疑で東京地検によって逮捕されてからちょうど30年になるらしい。7月27日に向けて、新聞各紙は各紙それぞれの視点で、「田中元首相が米航空機メーカー・ロッキード社からの民間機売り込みのための賄賂としての現金5億円を商社・丸紅を通じて受け取ったとされる贈収賄事件」を振り返る特集を組んでいた。
結局、田中角栄は、最高裁判所に有罪の判決を不服としている最中に死んでしまったので控訴は棄却され、角栄有罪の決め手となった、ロッキード社のコーチャン前副会長の嘱託尋問(しょくたくじんもん)の妥当性についても、平成7年にこの嘱託尋問書の「証拠能力無し」との判決によって、裁判においては田中角栄は“無罪“だったということになる。
しかし、ジャーナリストの立花隆氏や、嘱託尋問を担当した堀田力(ほった・つとむ)検事の著作などにより、一般的には「田中角栄はロッキード事件で有罪になったことで政治声明を断たれた」「日本政界の金権体質は角栄に始まる」と認識されているようである。
だが一方で、このロッキード事件には、発覚の直後から、「田中角栄がロッキード事件に絡んで訴追されたのはアメリカの謀略が背後にあった」という議論が多くなされている。
これについては、
(1)田中角栄が「日中国交正常化」をアメリカに先駆けて72年9月に行ったこと、(2)アメリカのメジャーを通さない独自の資源外交を角栄が目指していた点
を中心に説明される。
◇次に、角栄失脚の黒幕について概略を述べています。
結論からいえば、「角栄失脚は、アメリカのエスタブリッシュメントと日本のエスタブリッシュメントたちが皆で共謀して“ポピュリスト”(反エスタブリッシュメントを暗黙のスローガンに掲げ人民の支持を獲得する民衆政治家のこと)であった田中角栄の押しつぶしに加担していた。昭和天皇ですらこれに暗黙に同意している節がみられる。
それだけ角栄の登場は極めて日米エスタブリッシュメントのインナーサークルにとって予測不可能な脅威であった。
そして、角栄潰しに奔走した、この事件のキーパーソンとしてはアメリカ側では、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官・チャールズ・パーシー上院議員が、日本側のキーパーソンとしては、中曽根康弘・宮澤喜一の二人が挙げられる。
もちろんそれ以外にも多くの人物がこの事件の登場人物(アクター)として登場する。(一番したの図表を参照せよ)
しかし、ロッキード事件の真相を解明していく場合、この4人を中心に考えていかなければならない。多くの論考は、それ以外の瑣末な人物の行動を取りあげている。日本における、ロッキード事件の解説本は、アメリカ側にあまり光を当てていない。これは次に示す理由によって、大いに問題である。
日本側のロッキード事件の研究者は殆どの場合、ロッキード事件がアメリカのリチャード・ニクソン大統領を退陣に追い込んだウォーターゲート事件から派生してきたものであることや、ウォーターゲート事件によって、アメリカの政財界の勢力分布の組み替えが行われたことをほとんど無視したうえで、あくまで日本の情勢だけに注目して議論を進めている。
20世紀の後半の世界情勢は、アメリカの国家戦略によって動かされてきたことは、多くの異論の無いところであり、アメリカの政治情勢の変化が、最大の同盟国であった日本に波及してくることも容易に頷けるところであろう。
ウォーターゲート事件で失脚したニクソンの懐刀であったヘンリー・キッシンジャーと、ロッキード事件で灰色高官の一人として取りざたされた中曽根康弘議員は、どちらも二つの政治スキャンダルを生き残り、その後もその前以上に政治的影響力を持つようになった。角栄失脚後の日米関係の扇の要になったのは、キッシンジャーと中曽根の個人的関係による所も大きい。
なぜ、この二人が生き残ったのか。それには必ず合理的な理由があるはずである。二つ事件の発覚で利益を得る権力者達が存在していたことを本稿では明確にする。
すなわち、この利益を得た権力者達が裏で糸を引くことで、二つの政治スキャンダルが明るみにでたのである。
◇続いて、青年政治家田中角栄の登場当時の話
保守合同によって自民党が誕生したとき、田中角栄は三七歳だった。なぜ政治家になろうと思ったのか、その動機はいまひとつはっきりしない。ただ、戦争体験が大きな影響を与えたことだけは確かのようである。
田中は敗戦を朝鮮半島の工事現場で迎えている。日本が戦争に負けたからには、一刻も早く故郷に帰りたいと思うのが人情だが、現実は甘くはなかった。(中略)
生まれ持った運の強さで、一面焼け野原の東京に舞い戻ったのは敗戦後一〇日目。飯田橋駅近くの自宅や、経営する田中土建工業は戦禍を逃れて無事だった。こんな所でも運が味方していたのだが、このとき田中は、「神様の思し召しと、これからは世のためになにかしなければならない」と心に決めたという。
(28歳で)衆議院議員に当選した三ヵ月後、本会議ではじめての演説を行う。
「国会議員の発言は、国民大衆の血の叫びだ!」
壇上に立った田中は、全身全霊を込めて絶叫した。高等小学校を卒業して一五歳で上京し、夜間学校に通いながら建設会社の下働き
や出版社の見習いなどで働き、弱冠二〇歳で経営者となり、二八歳で衆議院議員に当選した晴れ舞台というわけである。それにしても、この演説の意味は深い。
昭和九年三月に一五歳で上京するまで、彼は明治以来の近代国家日本の形成過程で生まれた「裏日本」(昭和四〇年代まで、国会でもこの言葉が使わ「裏日本」に住む人問を貧困から解放するため
には、「裏日本」の犠牲のうえに「表日本」の繁栄が成り立つという構造を打ち壊す必要があった。そこで、農工商が一体となって発展できる国土の再編と、均衡のとれた日本列島の再利
用を目指したのである。
田中にとって、「裏日本」とは新潟だけを指していたのではないだろう。近代日本が志向した中央集権国家という体制によって、政治の恩恵に浴することが少なかった多くの地域を「裏日本」と考えていたはずだ。この演説は、「裏日本」に住む人びとの人間性の復権と生活の向上、そして安定を願った言葉だった。
『昭和天皇の極秘指令』(26−27ページ)
(引用終わり)
この部分を読むと、田中角栄という人が、高等小学校を出て上京し建設会社を起こしたというたたき上げの人物であったと言うことが分かる。角栄が失脚した原因を理解するためには、この角栄が「裏日本」の最下層の出身者であることを踏まえておかなければならない。
「国会議員の発言は、国民大衆の血の叫びだ!」という発言には、背筋がぞくぞくしてしまいますね。今の時代、こんなに気合の入った政治家の発言を果たして聞くことができるでしょうか。
こんな田中角栄が、最も自民党らしい政治家だと言われたのです。共産党でも公明党でもなく、自民党なのです。これが日本の政治の面白さですね。右とか左とか言う、単純な枠組みでは、決して捉えられないのです。
先を急ぎます
◇角栄の展開した資源外交について
<アメリカの虎の尾を踏みまくった田中角栄>
田中角栄の外交政策とアメリカの関係を取り扱ったレポートしては、田原総一朗氏の『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄』(中央公論・1976年7月)に始まる一連の連載が存在する。このレポートは、伝聞によっているところが多いので証拠能力に欠けるという主張(徳本栄一郎氏)もあるが、角栄の外交政策を眺めるには適していると思われるので、参照していくことにする。
徳本氏によると、この田原総一朗氏のレポートには、「田中角栄の資源外交がアメリカの虎の尾を踏んだため角栄は失脚させられた」と書いてあるという。私も原文を取り寄せて読んでいる。
今回、改めて読み直してみたが、ここでは田中角栄の「資源外交」に関する事実の部分を抜き出しておくことにする。田原氏によれば、田中角栄が独自の資源外交を行ったとされるのは、以下の外国訪問である。読んでみると角栄の外遊は日本の資源の自立外交であったことが容易に理解できる。やや長いが田原論文の引用を行う。
(引用開始)
一九七二・八・三一 ニクソン大統領と会談(ハワイ)/九・二五 毛沢東・周恩来(北京)
一九七三・七・二九 ニクソン大統領 (ワシントン)/九・二六 ポンピドー大統領 (フランス)、ヒース首相(イギリス)、ブラント首相(西ドイツ)/十・十 ブレジネフ書記長、コスイギン首相 (ソ連)
さらに、翌七四年一月には東南アジアの国国をまわり、九月には、メキシコ、ブラジル、カナダをまわり、十月から十一月初旬にかけてオーストラリア、ニュージーランド、ビルマへ、首相としての最後の外遊をしている。
資源外交なる外遊の軌跡は、当時の新聞の縮刷版から拾ったのだが、田中角栄氏が会談した大統領や首相の名前を列記してみて驚いた。ニクソン大統領(一九七四・八・九、辞任)、周恩来首相(七六・一・八、死去)、ポンピドー仏大統領(七四・四・二、死去)、ヒース英首相(七四・三、総選挙で労働党に敗れて政権交替)、プラント西独首相(七四・五・六、側近が東独スパイだったことが判明して辞任)。
さらに、田中角栄氏がウラン鉱とウラン濃縮の共同開発をやろうと持ちかけたオーストラリアのホイットニラム首相も七五年十一月十日、ジョン・カー連邦総督によって解任され、その後の選挙でホイットラムの労働党は敗れてフレーザー首相の親米政権が樹立している。そして田中角栄氏自身が金脈問題で七五年十一月二十六日に辞任。
なんと、田中角栄氏を含めて七人がわずか二年ばかりの間に死去ないしは失脚しているのである。これは、偶然という言葉で片付けるには意味がありすぎる。ニクソン、周恩来、そして田中角栄氏についてはここでは触れないが、新聞記事を拾っただけでも、ポンピドー大統領は、「ヨーロッパの将来決定にアメリカの参加はいらない」とまでいいきり、西ドイツ、イギリスもアラブやソ連に接近してアメリカと激しい確執を起していたことが容易に読みとれるし、オーストラリアのホイットラム政権の瓦解にはウラン資源の発掘権をめぐってアメリカの多国籍企業とCIAの黒い手が動いたと取り沙汰されている。
「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」(164−165ページ)
(引用終わり)
以上は、田原氏の初出論文からの引用である。
「なんと、田中角栄氏を含めて七人がわずか二年ばかりの間に死去ないしは失脚しているのである」は驚きですね。つまり、角栄は世界的大陰謀に巻き込まれたということなのです。
しかもこれを、あの田原総一郎氏が推理したというのですから・・・
思うにこの時点での田原氏はあまりに鋭すぎたのでしょう。だから、田原氏にとてっては、結局体制側に巻き込まれるしか、選択肢がなかったといえるでしょう。
もしそうでなければ・・・
話がそれました。
アルル氏の論文のこの後は、上記の仮説を検証し、「陰謀はなかった」説の反論に費やされていますので、興味にある方は副島氏のサイトでお読みください。
いずれにせよ、田中角栄は日本の政治家としては考えられなくらいスケールの大きな政治家でした。彼を失った後の日本、その損失はあまりに大きかったと言えるでしょう。
いったいいつになったら、日本に真の民族の英雄は生まれるのでしょうか。いや、ただ待っていてはいけません。それは私たちの手で。育てなくてはいけないのです。
読むだけですが、角栄の迫力を感じられた皆様は、ぜひ。
拙文を紹介して頂いて感謝です。
私はこの「第2論文」を準備しています。いいもわるいもなくこれが真実だと。日本の政治家は角栄失脚の真実を知りつつ、角栄の行き過ぎた面を考え、やむを得ずアメリカに同意したのだ、と。(むろん、中曽根は違います)そのように思います。角栄はアメリカが見えていたのかどうか、そのあたりは疑問です。ポピュリストの落とし穴でしょう。
日米関係というのは、反米自意識だけ高めればいいと言うものではなく、反米自意識の暴走を国内においては押さえつつ、自国の国益を主張しなければならないのが難しいところです。私は、この「反米自意識に陥ることない日本の自立」を唱えた、自立戦略を詳細に述べたウェブサイトに未だお目に掛かったことがありません。
私は憲法の改正をしないことが最も得策だと思っているのですが、この意見はアメリカの戦略に異論を唱える自立派の人からも受けが悪いようです。
アメリカの戦略が変わった以上、自主憲法という日本の自立戦略が正しいのかどうかを考えてみるべきだと思うのですが・・・。
そう言う意味では麻生さんは安倍さんよりはマシですが、少し右に行きすぎている気がします。
ご訪問ありがとうございます。
それと、第二論文の概要をこっそり教えていただき、ありがとうございます(笑)。実はどうも、第一論文が思い入れたっぷりのような印象を受けていたのですが、そういう事でしたか。
確かに反米一直線というのは、現実問題としてすごく難しいですね。属国にしろなんにしろ、日本の平和と繁栄はそこに根ざしているわけですし。
内なる反米の志を秘めて、できる限りアメリカの力を利用しつつ、それを上手く隠れ蓑にして国力の増強を図らなければならないと思っています。それができれば理想ですが。
でもそんなでっかい絵を描ける政治家が、日本に生まれるかどうか、すごく疑問です。十年二十年単位では到底出現しないと思っています。
だからそれまでは、自主憲法なんてやめた方がいいと思っています。特に安倍氏には、任せたくありません。
彼には、スケールの大きい思想を構想する能力がありません。これは、政治家としての致命的な欠点だと思います。今ままで彼がしてきたとといえば、ただ目の前の敵をヒステリックに叩くだけ。プライドばかり高いただの小心者です。
そういう意味では、麻生さんのほうがバランスはいいとは思います。あくまでも相対的ですが・・・。しかし彼も、キワモノを狙わないで保守本流を背負って立つくらいの心意気でやって欲しいのですが、それをさせないくらい小泉首相の分断政策が効いているってことなのでしょうね。