終戦記念日からはずいぶん日が経ってしまいましたが、話題になったらしい木走日記さんのこのエントリーを読ませていただきました。読んでない人も、一読の価値がありますのでぜひ。
「百人斬り競争」の当事者の一人である野田元少尉が戦後1948年1月28日に南京郊外の雨花台で銃殺処刑されるまでに獄中で綴った手記が月刊誌『月刊WiLL 8月号』に掲載されています。
特集南京大虐殺の真実
「百人斬り」野田元少尉銃殺までの獄中日記
月刊WiLL 8月号 P.212〜P224
これは読み応えがありました。いつ処刑されるかわからぬまま、一日、一日を過ごしていく野田氏。不安と希望に苛まれる日々。手記は処刑当日まで綴られています。
1947年12月18日に南京の法廷で「百人斬り競争」の罪に問われた野田元少尉は銃殺刑の宣告をついに受けます。
おそらくその判決を受け覚悟を決めたのであろう12月28日の手記、「一.日本国民に告ぐ」と題した一文は、とても考えさせられる読み応えのある文章でした。
『月刊WiLL 8月号』より12月28日の該当個所を引用。
一。日本国民に告ぐ
私は曽って新聞紙上に向井利明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申し上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受致します。
只、今般中国の裁判に於て俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定させられましたことに就ては私は断乎無実を叫ぶものであります。
再言します。私は南京に於て百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。
たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位い日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以て今後中日間の怨みや讐(あだ)や仇(かたき)を絶対にやめて頂きたいのです。
東洋の隣国がお互いに血を以て血を洗うが様な馬鹿げたことのいけないことは常識を以てしても解ります。
今後は恩讐を越えて誠心を以て中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいです。
中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以てするなら中国人にも解らない筈はありません。
至誠神に通じると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。
西郷さんは「敬天愛人」と申しました。何卒中国を愛して頂きます。
愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に到達し得た事を以て日本国民も之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。
猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以て神が教示されたのです。
日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は「愛」と「至誠」です。
此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈り致しまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。
桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。
(月刊WiLL 8月号 P.220〜P221より抜粋)
実は私は、多少割り引いて読んでいます。この首記が書かれた状況が状況だからです。でも、「桜の愛、富士山の至誠」という語句には日本人として心を打たれないわけにはいきません。これだけは借り物の言葉では決してないと思います。
本人が本当に百人斬っているか否かはここでは問題ではありません。問題は、彼がそのことにより当時マスコミの寵児であった事、そしてそれが敗戦で一転して、中国側に断罪される理由とされたという点です。
繰り返しますが、やったかやらないかはここでは問いません。しかし、彼がそれをひけらかしていたのは事実です。それを賞賛するような空気があり、殺した数を競うようなことがあったのでしょう。(そして、それを煽ったのが他ならぬマスコミであったことが木走さんのエントリーの重要なポイントです)
くれぐれも安易に今の道徳では裁かないで下さい。戦争とはそう言うものです。私たちが召集される時は、殺されに行くのではありません。殺しに行くのです。殺人マシーンとしての役割を期待されて行くのです。
たとえ殺す気がなくても、殺さなければ、自分が殺されるのです。国家が、私たちをそういう場所に追い込むのです。愛する同胞を守るためとか、奇麗事を言って、騙して戦地に連れて行くのです。
いくら奇麗事を言っても、やる事は一緒です。ケモノのように殺し合うだけです。あなたは、ゴルゴ13もランボーでもないし、堀部安兵衛でも椿三十郎でもありません。
誰もが恐怖に駆られて、殺して殺して殺しまくる。そこに殺しの美学だの、ましてや人道上の配慮など、入る余地などあるものですか。
その結果、勝てばヒーローです。しかし負ければこういうことになるということです。最後に骨を拾ってくれる国家は、崩壊してすでにない。異国の地で、一方的に裁かれて、こんなはずではなかったと慙愧の念に震えながら悶え死にするしかないのです。
もちろん、今更後悔しても遅いのです。しかし、数え切れない人たちが騙されたことにすら気付くひまもなく軍神になってしまったことを考えると、この時点で騙されたと気付くにはなんと残酷なことでしょう。
中国で裁かれたということは、かなりひどい扱いを受けたであろうことは想像に難くはありません。思想教育もあったと思います。しかし、行間に彼なりの苦悶の跡があったことが私には見て取れます。それが、作り物の文章とは違う感動を与えます。
もちろん、彼は決して悪くないのです。戦争なんですから。殺すのが仕事なんですから。その空気の中で、殺さないという選択肢は存在しなかったのですから。
仮に戦争がなかったら、彼は周囲の期待を裏切らない、職場や地域のリーダーとして何の変哲もない平凡な人生を送ったに違いないのです。少なくても、殺人鬼と呼ばれる事はなかったはずです。
しかし、戦争がすべてを変えてしまったのです。
私たちは、あらゆる手段を使って、戦争を避ける道を模索しなければならないのです。もちろん、ただ平和を唱えていればいいとも思えません。硬軟取り混ぜていろんなオプションを持つべきだとは思います。
しかし、絶対にぶち切れてはいけません。言葉に酔わされてはいけません。苦しむのは、私たち自身です。日本国も日本国民も、もっともっと賢くならなければいけません。
愛と至誠だけでは足りません。そこに智恵が伴わなければいけません。私たちはまだまだナイーブ過ぎます。
ご参考になりましたら、ぜひこちらを。

>もちろん、彼は決して悪くないのです。戦争なんですから。殺すのが仕事なんですから。その空気の中で、殺さないという選択肢は存在しなかったのですから。
同感です。軍隊の中で殺さないという選択肢は、ほぼないと思います。
もし戦争がなかったら、平凡であったろう彼の人生、拘束されている中、どのように感じたでしょうか?
>しかし、絶対にぶち切れてはいけません。言葉に酔わされてはいけません。苦しむのは、私たち自身です。日本国も日本国民も、もっともっと賢くならなければいけません。
キレるのは簡単です。ですが、そんなことをしたら、すべて終わりです。「ならぬ堪忍、するが堪忍」ですね。
誰かの安易な言葉に流されてしまいがちな風潮ですが、警戒していかねばなりません。
ブログにおくのはもったいない。
次期総理になるらしい若造は、憲法九条を変えると今から言い出しています。アイツのホームページに叩き込んではいかがですか。
敗戦記念日に私が自分のブログに載せた記事をTrackbackします。
戦争を知らない世代として、戦争という大きな選択肢を掲げないで生きようという気持ちを新たにしました。戦争を知らないから戦争ができるのだなどと言うことになりたくありません。
お久しぶりです。コメントありがとうございました。
この記事は、野田元少尉の手記を是非とも沢山の人に読んで欲しくて書きました。私の文章の部分は蛇足です。
これほど日本は平和なのに、さも今にも外国が攻めてくるようなことをいう人やマスコミがいます。
しかし、人はマスコミの言うことは結構鵜呑みにするんですよね。右向けと言われたら向くし。
平和な日常が続くことの偉大さをもっと語り継いでいかなければならないと思っています。
コメントありがとうございます。
トラックバックしていただいた記事も読ませていただきました。先輩は空襲の体験者なのですね。こういう生の体験談は、できる限り大切にしたいです。何十年たっても、読み継がれなくてはいけません。
ところであの人たちは、まさか自分が戦争に直接関係するとは思ってないのだろうなという感じがします。本当に想像力の貧困なやつらです。何様のつもりか。
そろそろ庶民はせっせと防空濠でも掘り始めましょうか。
コメントありがとうございます。
戦争を知らない世代っていうのも歌の文句みたいですけど、私たちは、直接には戦争を体験していませんが、私たちの血には脈脈とその経験が生き続けているのですよ。
だから、腰抜けだなんて言わせない。腰抜けといって動揺するのが本当の腰抜けなのだと思います。