例えば、大好きな彼女がいて、振られたりする。私の好きな彼女が選ぶのなら例えそれがどんな男であろうともその事実を受け入れようじゃないかと、珍しく男気を出してみた。しかしわかってみると、こんな男とだけはくっついて欲しくはなかったと思うような最低の男だった。いまの私はそんな気分だ。
あまりに予想を越えたことが起こると、言葉を失ってしまうというのは本当だと思う。
しかし、なってしまったものはしょうがない。私たちにできることはその与えられた条件のもとでどう生きたら良いかということである。もう昔には戻れない。
ただ一つ反省するとしたら、私たち日本国民が健全な対抗勢力を育てることができなかったことである。確かに民主党という受け皿はあった。その昔には社会党があった。しかし社会党も今の民主党も政権担当能力など持ち合わせていなかった。にもかかわらず、判官びいきの国民によって「なんとなく」支持されてきた。しかしそれがいけなかった、それは自民党に対する批判票でしかないのに、国民が自分たちを支持した結果だと彼らは勝手にうぬぼれてしまったのだ。そして、自らの実力を磨くことを怠った。その結果が、社会党の消滅であり、今まさになされようとしている民主党の瓦解である。
実は自民党もたいして能力があるわけではない。しかし民主党との違いは、彼らが曲がりなりにも勝ちつづけているということである。自民党は結党以来、負けたことのない政党である。民主党は結党以来負け続けである。善戦はしているが、負けは負けである。そのことをはっきりと指摘してきたものが今までどこにいたか。今回の選挙結果は、小泉自民党に対する支持であると同時に、民主党に対する積極的な不支持であることを同党の幹部は真剣に考えて欲しい。
国民は今こそ、勝ち馬に乗りにいったのだ。こういう行動は普段の生活ではよくあることである。クラスにいじめられる子がいれば、クラスの9割はいじめる側に回るだろう。会社では失脚した元上司の肩を持つものは誰もいないだろう。
古く歴史を紐解けば、こんな例は五万とある。義経を切り捨てた頼朝に義はあったのか。後醍醐天皇を裏切った尊氏には。豊臣家に叛旗を翻した家康には。さまざまな小説家が彼らの行動を正当化しようとしたが、それでも世間の評価を覆すまでには至っていない。それは、歴史を動かすのはそれが正義か否かではなく、勝ち馬に乗ろうとする庶民の身も蓋もない実利的な行動だからだ。
近くは明治維新すら、怪しいものである。最後まで原理に忠実だった会津藩が逆賊扱いされて、もともとは会津藩とさほど見解を異にしていなかった薩摩がチャンピオンになれたのはなぜか。それは政治力の差である。玉と呼ばれる、当時としては他に比べ物にならないメディアを握ることができたからである。小泉はまさにそれをやっているのだ。小泉率いる自民党を旧幕勢力と喩えると事態の本質を見誤る。彼ら及び彼らのシンパは自分達こそが官軍だと思っているのだ。
いずれにせよ、もう事態は動き始めている。戦後60年を節目にして、眠っていた日本国民の意思が動き出したのだ。衆愚政治だなどと自分だけを事態のカヤの外に置くことは許されない。この事態を、私達は直視しなければならない。小泉とその一味が何をしようとしているのか。そして日本は国際社会という舞台で、どんな役割を割り振られるのか。
そして国民は、世に倦む日日で言っているように、ファシズム化を自ら受け入れていくのだろうか。しかし、それは小泉一代では無理だと思う。ファシズムに走るには、まだまだ日本は豊か過ぎる。ハイパーインフレ下のドイツとでは全く状況が違う。
ただ言えるのは、日本人はかつて社会党や民主党を健全な反対勢力として甘やかしてきた、心のゆとりを失いつつあるようだ。何かに追われているような不安を感じ、我先にと勝ち馬に乗りに行こうとしている。人間なんて臆病なものだ。その心情を誰も批判などできまい。単なる小泉とその取り巻きの戦術の勝利なんてものじゃない。日本の戦後の総決算が近づいているのだ。
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確かに今の日本は、自分が勝てば他人の事は知らないと言う、米国の暗部を取り入れ、日本古来の(右翼的な意味で無く)美しい心根を失いつつあると思います。
米国の暗部を取り入れたということは、やはり戦後民主主義が日本本来の美しい伝統的な心を破壊したということなのでしょうね。
政権担当能力が ないと 言えるのか。
あれが 昔から判らない。あまり小さいと
担当能力は無理にしても 民主には あるだろうし。勝手の 社会党にも ないとは
いえなかった時期も あったろうに。
そうですねえ。確かにあるともないとも証明できないのが辛いですね。
振りかえってみると、自民党政権でも、鈴木善光とか、海部俊樹とかの時代は結構ひどいものでしたが、もしチャンスがあったら、あのくらいにはできたかなという気もします。
ただ、有権者にないと判断されたら、どうしょうもないのも事実です。