2005年09月25日

後藤田さんの評価



9月19日死去。享年91歳でした。同じ時期になくなった中内さんと一緒に引き合いに出して、「一つの時代が終わった」などときれいに締めくくるのが優等生的なブログ作法なのだろうが、あいにくそうは行かない。

なぜなら、たまたまなくなった時期が同じだけで、全然別の人生を歩んだ二人だからだ。中内さんは、権力に反抗し、やりたい放題奔放に生きた人だ。そしてその結果、権力に潰されて失意のうちになくなったわけだけれども。その一方で後藤田さんは、死ぬまで優等生だったなという気がする。もちろん優等生という言い方は、私はわざとしている。

私は、いろんな場所での、二人の死についてのコメントを読んだ。そして、九割がた判を押したように、中内さんにはやや距離を置いたコメントだったし、後藤田さんについては、称賛するコメントばかりだった。それで思ったのであるが、人間と言うのはなんて忘れっぽい存在なのだろう。ほんの20年くらい前までは、全く逆の評価だったのだから。中内さんなんて、今で言うところのカリスマ経営者だったし、後藤田さんなんて評価する人は周りから村八分人されかねない雰囲気があった。

後藤田さんは今でこそ護憲精神の権化みたいに思われているが、かつては左翼が最も憎むべき警察官僚のトップを極めた人だ。で、本当に憎まれるようなことを容赦なくやった人だ。政界に転じたときは、田中角栄の派閥に属し、当時田中の最大のライバルであった三木武夫と同じ選挙区で死闘を繰り広げた。三木と言うのは本当にクリーンな政治家だったらしく、ファンも多かったから、そこに殴りこんできた形の後藤田は、日本全国を敵に回すようなものだった(ずいぶん金も使ったらしい。これが後に「中選挙区制は腐敗する。小選挙区制ならクリーンな政治が可能」という神話の原型になったエピソードの一つにもなった、と言われるくらい当時の後藤田の選挙運動はすさまじかったらしい。もっとも、困難を承知でわざわざ真面目に郷里から立候補するところが、後藤田らしいと言える。当時は今と違って、政治家も恥は知っていたのだ)。後藤田は、三木に対して田中が差し向けた「刺客」のように思われていたのだ。

当然当選した後は、その官僚時代の実績を買われて田中の懐刀として大活躍した。当時の田中はマスコミから大悪党呼ばわれされていた頃だから、当然後藤田に対する風当たりはきつかった。中曽根内閣で官房長官として入閣したときは、田中が中曽根に対した送り込んだお目付け役だと思われていた。その後、竹下派が結成され、田中が病を得て影響力を低下させるが、後藤田は最後まで閣内にとどまり、行政管理庁長官として国鉄民営化などに辣腕を振るうが相変わらず悪役なのは変わらない。しかし、田中が倒れた後は、竹下派に属することもなく、無派閥を通す(一説には同じ内務官僚出身者の中曽根に寝返ったと言う説もある)。

後藤田が、今多くの人が思っているイメージしているような「護憲おじさん」になるのはその後の話、少なくても田中が倒れてから以降の話である。つまり、彼の長い、こわもての人生の中の、終わり近くのほんの一部分に過ぎないのである。中曽根内閣というのは、バブル時代であり、また、いまの小泉と似て、イメージ戦略を多用した内閣であった。その期間にずいぶん国民の右傾化(というか左翼離れ)が進んだ進んでしまったために、70年代の憲法観を未だに保持し続けていた、融通の利かない後藤田に注目が集まってしまったのは無理がない。(私は当時、宿命のライバル三木の魂が彼に取り付いたのかと思ってびっくりした。中曽根はある時期三木と行動を共にして、ここぞと言うときに裏切った男だから)

しかし、厳しい言い方をすれば、後藤田は真面目なあまり、法を字義通りに解釈することしかできなかったのである。しかも、その一方で実務能力には卓越したものがあったので、警察官僚とか、行政管理庁長官としては余人をもって代え難いパフォーマンスを発揮したであろうことは想像に難くない。しかし、それが、政治の透明性とか、憲法解釈にまで及んでくると、途端にドンキホーテ的性格を帯びてくるのは仕方がない。

つまり、後藤田の思想の根本と言うのは、平和主義ではなく、決まりごとに対して愚直なまでに忠実であるということだ。法を守るためなら、彼は平気で鬼になれる男である。それを徹底して、若いことさんざん恨みを買ってきのだ。だから憲法問題でどれだけ自分が少数派になろうとも、腹が据わっていてぶれなかったのである。彼は決して、護憲おじさんでもなんでもない。死ぬまで優秀な官僚であっただけなのだ。ある人がブログで言っていたが、彼はナンバー2としては素晴らしい人材であるが、首相になれる器ではなかった。それが彼自身わかっていたから、請われても絶対ならなかった。首相になることを目指して政治をやっていた田中や三木とはその辺のスケールが全然違っていたのだ。

だから、お分かりであろう。中内さんとは格が違うのである。中内を冷淡に扱い、後藤田を称賛するのは、所詮私たちが使われる人間であり、使う側の人間の立場に立ってモノが考えられないということなのだ。ただ逆に安心したこともある。日本国民はいざとなったらあっさり、あっけないくらい小泉首相を見限るであろういう確信がもてたことである。そう考えたら、憎たらしい小泉さんもかえって気の毒か・・・


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この記事へのコメント
こんにちは。TBありがとうございます。

こちらのエントリーはすばらしいですね。私のファミレス談義レベルのものとは全然違います。

次のエントリーの「無自覚なラジカル」に同意するところがいろいろありました。私の「後藤田さんその他」のエントリーも、本当に書いておこうと思ったのは、実は後半の部分なんです。
Posted by mudaidesu at 2005年09月26日 17:48
こちらこそ、コメントとTBありがとうございました。
後藤田さんについては、ホントに突っ込みようのないエントリーが多かったのですが、mudaidesuさんのは本当に面白かったです。おっしゃるとおり、後藤田さんのしたことをちゃんと評価しようと思ったら、野中氏に言及しないわけには行かないんですけど、誰もそれには触れていませんでしたね。野中氏と言えば、引退してもなおアンチ小泉で戦っていて、生々しすぎますが、後藤田さんは過去の人なのでいくら誉めても安心だということですね。
mudaidesuさんのブログの後半部分ですね?私は、すごく良くわかります。反戦派もそうでない人も観念でしかわかってないですものね。もちろん私もですが。だからリュック背負ってアフガンに行ってしまうような人もいるのでしょう。
それから、偉い人の子息っていうのは、徴兵制になっても、前線には行かされないって聞いたことがあります。父親が手を回すって言うより、周りが気を遣って前線には送ったりしないでしょう。万が一戦死してしまったら困りますものね。
Posted by 非国際人 at 2005年09月27日 11:39
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